「冬の光」篠田節子
父は四国遍路を終えたキロ、徳島から乗船したフェリーで行方不明になった。後日遺体は発見されたが警察では自死として処理された。父には母とは別に20年間愛した女性がいた。父は、東日本大震災のボランティアとして震災地に半年間行っていた。震災地から帰ってきた後すぐに遍路の旅を始めた。
次女は五月の連休を利用して、父の足跡を辿ってみようと思った。父の残した日記を頼りに辿ってみたのだが心に火係るものを残して東京に戻る。
父の1周期を前にして震災地からトロ箱2箱に入った大量の秋刀魚が父宛に届いた。お礼の電話をすると送り主は父が亡くなったフェリーで同乗していたという。とても自殺するような雰囲気ではなかったという。
1周期に当たる日に、徳島から同じ便のフェリーに乗りフェリーから「冬の光」をみて、ちちの胸中に接することができた気がした。
次女は五月の連休を利用して、父の足跡を辿ってみようと思った。父の残した日記を頼りに辿ってみたのだが心に火係るものを残して東京に戻る。
父の1周期を前にして震災地からトロ箱2箱に入った大量の秋刀魚が父宛に届いた。お礼の電話をすると送り主は父が亡くなったフェリーで同乗していたという。とても自殺するような雰囲気ではなかったという。
1周期に当たる日に、徳島から同じ便のフェリーに乗りフェリーから「冬の光」をみて、ちちの胸中に接することができた気がした。