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明治17年(1884)5月15日(大垣祭りの日)、安八郡大垣町西船町三十四番戸
(現在の大垣市南切石町2丁目44番地)で材木商を営む
「井桁屋」水野家に男の子が生まれた。
名を仁吉といった。




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現在も残る水野仁吉(利八)の生家




明治39年4月1日(1906)仁吉は弟利三とともに
大阪市北区芝田町に開業資金150円で「水野兄弟商会」を創業した。
明治43年(1910)梅田新道に店舗を移すと同時に「美津濃商店」と改称し、
大正4年には父の名前「利八」を襲名した。



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ミズノ創業者水野利八


「美津濃」の由来は「水野」と岐阜県の「美濃」をかけたものだ。
「美津濃」はその後「ミズノ」になる。

利八は、明治 地元大垣に工場を建てるため、
同級生の安八郡大垣町の助役栗田徳次郎に相談をかけたが
用地確保が困難ということで隣接の養老で約10万坪の土地を
購入することになった。現在の養老工場である。

戦時中は軍事工場(飛行機)で沢山の木を扱っていた。
終戦後、木を使って製品つくりということでラケット(ついこの前まではテニスラケットは木製でした。
フタバは当時有名 福井選手が使っていたような気がする。)、やバットを作り出した。
イチロー、松井のバットもこうやって生まれる下地ができたのである。

「スポーツは陸から海から大空へ 水野利八物語」(美津濃株式会社 昭和48年3月9日発行)・
西美濃わが街11月号から

大垣の起業家には「利八」という名前に縁がある。
セイノー・ホールディングス(西濃運輸)の創業者も田口利八氏だ。